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『ハイヤーセルフ』 あなたの人生の伴走者



後悔先に立たず

あなたの大切な友達が
落ち込んでいる様子。

「どうしたの?」

「実は○○○なことがあって
上手く対処できなかったのよ」

「そりゃ大変だったわね」

「でも、あんたなりに
頑張った結果なんだから、
仕方ないじゃないの」

「誰だって上手くやれなかったことはあるわ。
私なんかしょっちゅうよ🎵」

「でもまだ、終わった訳じゃないでしょ」

「やり直しはいくらでもできるわよ。
あんたなら大丈夫!」

「今度はこんな風にやってみたらどう」

大切な友達に元気を取り戻して欲しくて、
あなたは精一杯に励まし、
より良いアドバイスを考えて提案します。

そんな暖かで頼りになる存在が
いつも自分の心の中にいてくれたら、
どんなに心強いことでしょう。

怖いものなし❗
鬼に金棒❗だと思いませんか⁉

そんなありがたい存在を
本日はあなたにご紹介します。

ハイヤーセルフ
=内神様


あなたの心の中にすでにいて、
まだかまだかと出番を
待ちわびています🎵

私はその存在に「ブタ先輩」と
名前をつけて擬人化して
いつも対話をしています。

あなたも自分の人生の伴走者である
「ハイヤーセルフ」の存在を受け入れて、
フレンドリーな愛称で対話をしてはどうですか

自分が困ったときほど
すごく頼りになります🎵

「自分はもう一人で戦わなくてもいいんだ」と
実感できたら、やる気のパワーが
満タンになります。

本日のブログは、
そんなハイヤーセルフの話です。

では、始めます🎵


▲ http://serendipity-japan.com

ハイヤーセルフ

少し聞き慣れない言葉かもしれませんね。
はじめて「ハイヤーセルフ」という言葉を
耳にする方のために、少し説明をしたいと思います。

人は一人で生きているわけでは決してありません。
家族、友達、職場の人、街で出会う人、
緑、風、花と、この世界に存在する全てと
密接に関わり合いを持ちながら生きているのです。

何もかもが上手くいかない、
どうしようもなく途方にくれてしまう
『なぜこうなるのか?』と

自分以外の『何か』に
怒りをかんじたりしたことはありませんか?

反対に、

今なら『何でもできる! 』
全てが上手くいき、自分以外の誰かが
どこかで糸をひいてくれているような、
そんな経験は誰にでもあるかと思います。

一般的には、ハイヤーセルフは、
パワーや『気』と表現されることが多いでしょう。

自分以外ではなく、世界のパワーそのものや、
自分を含めた人々の集合体であったり、
定義はとても難しくなります。

目には見えませんし、形もありません。
ただ、まれに感じることによって目に見え、
形としてとらえることも可能です。

このように説明をすればするほど
『一体なんなのだ?』と
疑問が次から次へと湧き上がるかもしれません。

私自身はハイヤーセルフを
『自分の本来持っている内なるパワー』であり、

同時に自分という人間の枠を超えた
『大いなる何か』としてとらえています。

今までのたくさんのお話の中で、
何度も何度も『自分自身の“気”の持ちようである』
というお話をしてきました。

ハイヤーセルフとは何か?
そのものの存在を確信し、受け入れ、

さらにはハイヤーセルフと繋がることで
人生は驚くほどに豊かになります。

ここで必ずご理解していただきたいことは、
ハイヤーセルフを理解すること、
繋がることによって

『良いことしか起こらない』
という意味ではありません。

世界とは様々な人生の集合体ですから、
とてつもない悲しみや、変えようのない憤り、
そして、必ずとびきりの幸せとも出会います。

つまり、ハイヤーセルフと繋がることで
人生自体が激的に変わるという訳ではないのです。

ただ、

人生そのものの捉え方が変わることによって、
より豊かなものになるという意味なのです。

良い意味でも、悪い意味でも
人生は一度しかありません。

自分の人生は自分自身のものでしかありません。
せっかくの短い人生なのですから、
誰もが素敵なものにしたいと願っているでしょう。

ハイヤーセルフと繋がることで
素敵な自分の人生を実現させましょう。

誰しもが実践できるとてもシンプルで
簡単な方法でハイヤーセルフと
繋がることができるのです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、
人生観ががらりと変わる、
ハイヤーセルフとの繋がり方について
ご説明しましょう。

前置きでは
少し難しい説明をしてしまいましたが、

ハイヤーセルフと繋がる方法は
いたってシンプルです。



『ハイヤーセルフと繋がる方法』を
テーマにしている他の方のサイトを拝見すると、

瞑想の中に悟りが~というような
終業論を説いる方も中にはいらっしゃいます。

紹介されている手順やポイントは
多々あるかとは思いますが、

私が考えるハイヤーセルフとの繋がり方は
『全にして個、個にして全』この言葉に尽きます。

生まれながらにして私たち1人1人は
既にハイヤーセルフと繋がっている存在なのです。

そして、改めて何か特別な方法や
手順を踏んではじめてハイヤーセルフと
繋がることができるというわけではなく、

『何時でも』『何処でも』
ハイヤーセルフと繋がりを持つことは
可能なのです。

なぜなら、
『ハイヤーセルフ』とはパワーそのものであり、
気持ちや、考え方をベースにした世界であり、
その中心の自分自身であるからなのです。

ハイヤーセルフと繋がる方法はたった1つです。

自分と世界が同じであり、
一つであることを感じ、意識することです。

人生の中では、『なぜ自分だけが
このようなめに合わなければならないのだ!』と
叫ぶ場面もあるかと思います。

決してあなた1人だけが
体験し背負っていることではありません。

なぜならこの世界に存在している全ては、
同時にあなた自身の世界です。

あなたが経験する全ては、
同時に世界のどこかで起こっています。

ハイヤーセルフと繋がるとは、
あなたの気持、意識の持ちようで簡単に実現します。

それは難しい言葉の定義や
考え方の手順は一切必要がないのです。

既にどこかであなた自身も
気が付いていたはずですから、
それをちょっと思い出す程度で良いのです。

ハイヤーセルフとはとても奥深いようで、
実はあなた自身であり、世界そのものです。

ハイヤーセルフと繋がるということは、
あなたは世界であって、

世界そのものがあなた自身であると
認識をすることです。

ハイヤーセルフと繋がることで、
つらく厳しい事柄に対して
気持ちが少し楽になるでしょう。

なぜなら、あなただけが苦しむわけでは
決してありません。

あなたにだけ
ふりかかっている困難もありません。

ハイヤーセルフと繋がることで、
日々がより色めいて見えるかもしれません。

この世界で起こる全てが
あなた自身のひとつでもあります。

世界には目には見えないパワーが
たくさん満ち溢れています。
そしてその一つ一つはあなた自身でもあるのです。


▲http://www.yorokondeitadakimasho.jp

大事なところなんで、くりかえします。

自分の中に
もうひとりの自分がいることに
気づいておきましょう。

一度気づいてもすぐ見失いますんで、
気づき続ける努力をしましょう。

小我 と 大我(真我)

とか、

自我 と ハイヤーセルフ

とか、

二人の自分を分ける言い方、
呼び方はいろいろあるでしょう。

けれどとにかく、
ふだん自分で自分のことを

「ワタシってこれのことでしょ」
と思いこんでいる、

その自分とはちがうところに、
もうひとりの自分がちゃんといます。

ふだん自分で自分だと思っている方と
ちがうほうの自分が、
いわゆる本当の自分なんだと、
そう思ってしまってください。

ほんとうとかウソとか言ったって、
しょせん便宜上の分け方ですから、

どっちがウソでどっちが本当と
いうわけでもないのですが、

とりあえず、

こっちがウソで
ふだん見えてない方を本当なんだとする。

人生いつでも
自分と二人連れだってことですよ。

あなたがもし寂しがり屋さんで、
そんな自分がちょっとイヤだとしたら、

特にこの感じを
わかっておいてもらいたい。

あなたという存在を、
海に浮かんだ小さなイカダに
例えてお話しましょう。

イカダを動かすための道具は、
「櫂」(かい=バドル)と「帆」です。

櫂はイカダを手で漕いで動かす。
帆は風を受けて動く。

あなたの中にいる二人のあなたは、
それぞれ別の「動力」を持っていると
考えてほしいのですが、

その動力の特徴を、
イカダを動かそうとするときの
「櫂」と「帆」にたとえると
説明がしやすいんです。

はるか彼方に見えてきた
小島にたどりつくために、

あなたは櫂と帆を
どのように使い分けるでしょうか。
どちらにも一長一短ありますね。

風の向きや潮の流れが読めるなら、
あなたは額に汗して櫂を漕がなくても、
帆を張っているだけで船は進みます。

しかもその速度は、
手漕ぎで出せる速度の比ではない。

しかし困ったことに、

風の向きや潮の流れなんてものは、
そう簡単に素人が読めるものじゃ
ありませんよね。

たぶんこっちじゃないかなぁ~って予想して、
なんとなく波に揺られてたって、

島(=目的地)に近づいている
という実感が湧きません。

だから自分の全身を使って
エッチラオッチラ漕いでたほうが、
実際には島に近づいていようがいまいが、

やるだけのことはやっている
気がするから得心がいくってもんでして。

そっちのほうが現実的だし
確実だという見方も筋が通っています。

今日では──

実在意識 と 潜在意識

あるいは

左脳 と 右脳

についてそれぞれの機能と役割が
ずいぶんと科学的に研究されて
広く知られるようになってますから、

私たちが使えるエネルギーを
大きく2つに分けることには
異論がありませんね。

イカダの例えでは
「帆」が潜在意識にあたるのも
おわかりですね。

まるで自動操縦ロボットのような
このすばらしい潜在意識という能力が
与えられているにもかかわらず、

現実社会では
近代文明人のほとんどすべて、

100人中97人以上が
「櫂」のほうばかりを使って生きている

というのもすでに
知られているとおりです。

なかなか気づくことが
できないもんですからですね。

自我(エゴ)さんはいつも
櫂でイカダを漕ぎつづけています。

次はどうしたらいいのか?

この問題はどうすれば解決できるのか?
あ~これはダメかもしれない‥‥

一生懸命に考えることに忙しいんです。
ほんとにもう毎日たいへんでイヤになる。

なんでこんなに
うまくいかないことばっかりなのか。
まったくどいつもこいつも‥‥

愚痴をこぼすことにも忙しい。
帆を張ることを思いつかないまま
がんばってるんです。

ときどき思いついたとしても、
やっぱり天候が読めないから
うまく進めない。

たまたま無自覚に帆を使って
まぐれ当たりすることもありますけど、
もちろん長続きしませんね。
波に呑まれて沈没必至。

それならはじめから、帆を張らないほうが
よかったってことも多々ある。

よろしいか、

風の向きを読むのは
ハイヤーセルフさんの特技なんですよね。

だからどうしても、
うまく帆を操ろうと思うと、
もうひとりの自分に出てきてもらうしかない‥‥

ってことになります。
そりゃあ人生をとにかく楽に、
喜びに満ちて、しあわせで、
なんの不安もなく生きようと思ったら、

風や潮の流れにうまくイカダを乗せて、
ちょいと帆を上げたり下ろしたりしながら、
自由自在に行きたいところに行ける
っていうのがいちばんいい。

ただそのためには、
天候を読む能力が必須です。
宇宙とつながるってやつ。

そのためには‥‥

寺から逃げ出す俄坊主が
後を絶たないくらい根気のいる魂の修行
ってやつが求められる。

3日で身につく潜在能力の使い方
なんて、ないない。

2週間で英語がペラペラが
ないのといっしょ。

だから、
手段はどっちでもいいって
いうことなんですよ。

はるか彼方に見えてきた小島に
たどりつくための手段は
あなた自身の自由選択です。

あなたにはあなたの美学があるように、
他人には他人それぞれの美学がある。

それでいい。

ただね、本当の自分に一度は
出会っておかないと、どうしても
超えられない苦しみ、痛みがある。
生きるか死ぬかのときがくる。

だからもう
どうしようもなくしんどくて、

生きていられないくらい
凄まじく辛いときが、

まださいわいにもあなたには
来ていないとしてもね、

知っておくってことは
とても大切なことなんです。

選択肢があることを知っていて
選ばないということと、

はじめっから知らないということでは
意味がぜんぜんちがいますよね。

極論すれば、

本当の自分が見つかったからといって、
いつもそっちの自分で
生きていかなきゃならない
ってことでもない。

泥くさいところが好きなんだ
っていうことなら、死ぬまで
ドロドロでいいんですから。

「悟り」なんて開けなくっても
大金持ちになれます。

欲望を満たすために目標を立て、
それを努力して達成感を味わうことの
連続は幸せなもの。

欲望のエネルギーだけで成功できる
っていうのも確かな事実。

どこまでも自己中心主義を
楽しみましょう。

逆に、「悟り」を開いた人がみんな、
弥勒菩薩みたいな生き方をしなきゃならない
ってことでもない。

欲は欲として器用に
自覚的に使い分けたらいい。

お金儲けもおしゃれも
酒もセックスも好きなだけやったらいいし、

ロックも聴いてていい。
とにかく便利な道具だから‥‥

みたいな軽い気持ちでは
なかなか身につきませんが、

とにかく行けるところまで行ってみる
っていうのでどうでしょう?

いくつかの関門がありますけど、
それぞれにちゃんと素敵なご褒美が
用意してありますから。

人を見る目も養われます。
途中で引き返しても
誰にも叱られませんしね。

宗教だとお金がかかるかも
しれませんけど、

わたしは宗教のことは
さっぱりわかりませんから、
お気楽にさとってみてはいかがでしょうね。

b(⌒o⌒)d

さあ、とにかく‥‥
あなたが二人 (。・・。)

もうひとりのあなたが
起きてるか寝てるか、

どっか出かけちゃったかはさておき、
あなたは二人 (。・・。)

ここのところをほんの瞬間でも
実体感して、人生いつでも自分と
二人連れて感じがわかってくると、

いろんな謎がスルスルスル~ッと解けて、
いままでしんどかったことが
ズ~ンと楽になるし、

腹が立ったり落胆したりというような
感情のウロチョロがめっきり減って、
まぁなんと形容したらいいのか、

なにをしても気持ちよくスーイスイ、
なにもしなくても気持ちよくてニコニコ‥‥

というような
極楽太平な気分に浸れます。

だからほんとうは、
修行といっても苦しいと決まったもんじゃなく、

それを上まわる心の喜びや
肉体の快感が常にあるので、
引き返したいなんて思うはずはないのですが、

心の修行が不十分なうちは、
そこ、よく忘れるんです。

自分とふ二人連れなのを
コロッと忘れる。ほんとうなんです。

さっきまでいたつれあいの自分が、
ふと振り向くともういない。

自分の相棒が消えたのに
気づかないまま3年すぎた‥‥なんて、

ブラックジョークにもなりませんが、
ほんとうにそんなことになってしまうんです。

特に、

身体が健康で経済的にも恵まれて、
どこからどうみても順風満帆に
見えるときほど忘れがち。

うまくいっているときほど忘れがち。
実はいつのまにかエゴに振りまわされて
いるだけの状態に陥っていたのに、

それを「好きなように生きている」
「うまくいっている」と勘違いしてしまう。

自らの意志の統括を越えて
出しゃばってくる自我さんの動きに
くれぐれも注意してください。

自覚があるならOKですよ。
どうも今日のオレは感度が鈍ってる。

いまから心を整えようにも
すでに酔っぱらっているし、

おまけに隣に
こんなべっぴんのねえちゃんが座ってる。
もうこのへんで切り上げて家に帰ろうにも、
どうにもこうにも歯止めが効かない‥‥

っていうような情けないケースでも、
自我さんに心が占領されている
自覚があるならいい。

それだけで希望はつながります。

全力で自分とふたりづれなのを
忘れないようにすると、
どっち向いて進むか、どこまで進むか、

すべて自由なんで、
自分の中の2人でお互いによく
話しあってくださいましね。

自我さんの欲望だけに従って
生きていくのも大いにけっこう。
‥‥っていうかそれが圧倒的大多数で
普通ですから、

ぜんぜんいいんですよ。

商売だって、
自我さんの欲望だけで
10年でも20年でも乗り切れます。

櫂で漕ぐだけで大成功できる。
いいじゃないですか。

ただね、それにしたってね、

もうひとりの自分に
いっぺんも出会わずに、
ただ儲かってるっていうだけ
だったらちょっと寂しい。

だから、

とにかくバランスがかなり大切なんだと
わたしはここで申しあげたいわけなんです。
あっちの自分とこっちの自分のバランス。
あっちの道具とこっちの道具のバランス‥

ですね。

そのバランスを、うまく取れないとしても、
最低でも自覚しておきたいんだ、
自覚さえあれば希望はつながるんだと
しつこく言いたい。

悲しすぎるのは、

自覚なく自我(エゴ)の言いなり
に振りまわされたまま生きること。
他人じゃないですよ。

自分に自分が振りまわされるんですからね、
裁判したって勝てっこありません。

(。・_・。)_・。)_・。)_・。)_・。)
わたし、ヤバかったです。

気づかせていただいて、
ほんとうにほんとうにありがたいんです。

自分のバランスが自覚できるようになると、
他人のことが透き通るみたいによく見えてきます。

因果応報もよく見える。

自分の選んだほうとちがうやり方で生
きている人に対して、

とやかく口出しする気持ちなんか
ぜんぜんなくなります。

否定することほど、エネルギーの
無駄づかいはないんですからね。

>気楽でしあわせな人生ですよ。
と本人がおっしゃってるとしても、
そうではないなとわかることがあります。

それは単に、
自我さんのこじつけだとわかる。

他人との比較では勝てないと
わかった自我さんが、
比較を放棄して逃げただけ。

だとしたら残念です。
ただ単にケセラセラを気取っている自我さん。

いろんなものから逃げ出して、
目的も見つけられずにさ
まよっているだけの自我さん‥‥。

スピリチュアル系な方々の中には、
>風の向くまま気の向くまま、
>これが最高の生き方だーっ!

みたいな目覚め方をして感激される方が
よくいらっしゃいます。

それもOKです。

やがていつか、
島にたどりつけるかもしれないし、
たどりつけないかもしれない。

どこにもたどりつけなくてもいい。

イカダに乗って航海を続けると
自体が人生だもの。

どこかにたどりつこうとすることのほうが
おかしな執着なんじゃないですか

‥‥なんて、

まぁそんな感じで(*^_^*)
あなたは海に浮かんだ小さなイカダ‥‥。
2人乗りのイカダに2つの道具。

他の誰かを
たくさんしあわせにしてあげましょう。

「ありがとう」をたくさん言われる、
そんな人生でありますように。

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明日のブログ

人生を気楽に生きる30の方法

https://happylifestyle.com/4695









自分を「お気楽」にするコツ

 

私の職場の後輩F君(56歳)は、
仕事面では頼りになるベテランですが、

気分の浮沈みが激しくて、
楽しい出来事に反応して
気分が明るくなるのなら良いのですが、

気分が落ち込むことの方が多く、
突然ショボンとしていたり
自己嫌悪の愚痴を言い出したりします。

「おいF君、ここ変じゃない?」と
仕事上の確認をしただけなのに、

ひどく落ち込んでしまったり、
プンプン怒りだす場合もたまにあります。
典型的な「プチうつ」の症状です。

こんど飲みに誘って
ゆっくり話を聞いてみたいと
思っています。

本日のブログテーマは
プチうつの話ではなく、
「お気楽に生きる」です。

「お気楽に生きる」とは
楽しいことをするという
狭い範囲ではなく

自分の「今」を愉しむための
考え方やコツについてです。

本日はその第1ページです。


▲ http://karapaia.livedoor.biz

「人生は複雑じゃない」
「私たちの方が複雑なのだ」

「人生はシンプルで、
シンプルなことが正しいことなんだ」

これはオスカー・ワイルドの言葉である。

若いときの方が、人生はもっと
簡単だと思えることはないだろうか?

でも本当は、人生はいつだって
簡単なのだし、いつでも簡単になれるのに、

それがどこかで違ってしまうのは、
年をとるにつれ、自ら物事を
複雑にしてしまっているからだ。

若いころは、
世の中に希望をもって見ていた。

自分の欲しいものがはっきりしていて、
それほど偏見もなかった。

笑顔の人を好きになり、
しかめっ面の人は避け、

腹が減れば食べ、
喉が渇けば飲み、
疲れたら眠る。
いたって簡単だ。

私たちは年をとるにつれ、
次第に外界のネガティブな影響に
迷わされていき、

あるとき自分の本能にためらいを感じ、
疑問を持ち始める。

そして、新たな障害や苦しみが生じると、
すぐにつまずいて失敗してしまう。

こういうことが何度か起こると、
最終的には、失敗の問題を解決せずに、
すべてを避けようとする。

その結果、何かに依存し、
つらいことを感じないようにして

空虚な気持ちを埋めようとしたり、
わざと夜遅くまで残業して、

家庭内の問題を
未解決のまま放っておいたり、

悪意を抱いて心理戦を仕掛け、
他人や自分をだまして
出世しようとしたりする。

それがうまくいかないと、
身分不相応な暮らしをするようになり、

嘘に嘘を塗り重ね、
気分をハイにするためだけに
暴飲暴食して現実逃避する。

そうこうしているうちに、
ますます人生が辛くなり、

本当の自分や
自分にとって本当に必要なものと
離れていくことになる。

少しでも思い当たるふしがある人の為に、
海外サイトにて、

自分の人生を必要以上に
難しくしている例と、

物事をもっと簡単にするための
解決法が特集されていたので
見ていくことにしよう。



他人の答えを当てにする。

人生の大半、特に始まりで、
わたしたちはなにをするべきか、

どう考えるか、
よく見られるためにどうするか、

成功とはということを吹き込まれる。
そんなことは、これ以上
受け入れる必要はない。

自分で考え、
自分の声に耳を傾け、

型を破ること。

他人があなたに望むことに
従うのをやめ、

自分の直観に素直になれば、
探しているものは必ず見つかる。

自分の人生を
正直に生きることに
罪の意識を感じている


誰かを傷つけない限り、
自分のやり方で自分の人生を
生きればいい。

誰かのために生きようと、
他人の期待に応えようとしたり、
感心してもらおうとしたりすることもあるが、

ちょっとだけ立ち止まって考えて欲しい。
自分は本当にそれを
信じてやっているのだろうかと。

自分の本当の目的を思い出して欲しい。
自分のために生きて、行動して、
愛すれば、幸せになれる。

他人との関係は一瞬かもしれないが、
あなたは残りの人生を
最後まで自分と共に生きていくのだから。

毒をもつ人に
自分を牛耳らせてしまう


害を及ぼす人を自分の人生から
排除することをためらってはいけない。

親戚でも、恋愛の対象でも、
同僚でも、子供時代の友人でも、
知り合ったばかりの人でも関係ない。

あなたに苦しみを与え、
卑屈な思いを抱かせる人に
つけ入るすきを与えてはいけない。

思い当たるふしがあるなら、
そんな状況を変えるよう
努力をすること。

あなたの感情を考えずに、
境界線を無視して入り込んできて、
害を与えるような相手は

誰であろうと
排除しなくてはならない。

自分がドラマの
一部になっている


ドラマやゴシップ、誹謗中傷の世界から
抜け出すこと出来れば、どんなに人生が違うだろう。

今日という日を
相手の良い面を探す日にしよう。

あなたを支えてくれない人のことなど
無視していい。とても簡単なことだ。

負の要素やそれを生み出す人から
距離をおけば、思いがけないことが起こる。

ドラマにとらわれてはいけない。
自分の足で歩み続けるのだ。

ネガティブな意識を
他人の行動のせいにする


別の車に割り込みされた。
友人がメールを返信してこない。
ランチに誘われない。

誰にでも日々ムカつく理由は
いろいろある。

でもどうしてそんなに怒っているのか? 

ネガティブな意識を
他人のなんの気なしの行動のせいにして
いないだろうか? 

些細なことを、平手打ちされたように、
自分への侮辱ととっていないだろうか。

そんな風に考えてはいけない。
自分の不愉快な気分を
人のせいにしてはいけない。

今日という日を、
会った相手のいいところを
探す日にしようではないか。

あらゆる人と
張り合おうとする


すべての人と競争しようとしたら大変だ。

そうではなく、
かつての自分と張り合ってみよう。
もっと向上できる。簡単なことだ。

あまりに
受け身になりすぎる


ボランティアなど、他人のために
なにかをするのに熱中するのは、
ストレスや喪失感と折り合うひとつの方法だ。

そんなに大きなことをする必要はない。
自分の生活の中でできる範囲のことで十分だ。

世の中には、与える人と受ける人の
2種類のタイプがあるが、
実は与える人のほうが幸せなのだ。

受けるだけの人は、それが自分にとって
なんの意味があるのか疑問に思い始め、
却って惨めな気持ちになるものだ。

手抜きしてばかりで、
安易な道に進みすぎる


楽なことではなく、正しいことをしよう。
ほかの誰も知られなくても、
正しいことをしよう。

本当は自分でもわかっているはずだ。
どうすることが自分にとって
正しくて何が間違っているかを。

現在以外の時点を
気にしすぎる


昨日のことはもう変えられないが、
明日のことに心を砕いて、
今日を変えることはできる。

現在に腰を据えれば、
明日のあるべき姿勢がはっきりと
見えてくる。

昨日がそうであったように。

自分の過ちに
こだわりすぎる


犯した過ちを大目にみることは
時には大切なことだ。

失敗から学び、前へ進んで
いかなくてならないから。

今日の自分と結託して、
昨日の自分に縛られないようにしよう。

成功した幸せな人生とは結局、
まったく問題のない人生ではなく、

問題を乗り越えて
立ち上がることのできる人生なのだ。

人生で白か黒かを
決めつけすぎる


完璧な成功もない代わりに、
完全な失敗もない。

だから、物事に全部かゼロか、
成功か失敗かといった
両極端なレッテルを
貼るのはむだなことだ。

そこにあるのは、
無限の可能性と
チャンスでいっぱいの
不完全な瞬間の連続。

両極端の間のグレイゾーンを評価し、
成功や失敗にあまり固執しないことだ。

人生はいつも
ハッピーであるべきと
思いたがる

世間とは、苦しみや悲観や敗北を
必ず経験する難しい場所。

こうした経験は、確かにあなたの幸せを
大きく崩してしまう。

でも、希望を失うことはない。

中国の哲学、
陰と陽について考えてみよう。

これは互いに
つながっている相反する力のこと。

苦しんでいるとき、
みなぎる力を感じ、

打ちひしがれているとき、
跳ね返す力を感じ、

敗北したとき、
人生への新たな感謝を感じる。

人生には常に光と影があるもの。
このふたつは互いに依存し、
互いに結びついている。

どちらか一方だけを
完全に排除することはできないのだ。

最悪のケースの
シナリオばかり考える


必要もないのに、
起こりそうもないことを
あれこれ悩むことはある。

喉が痛いだけなのに、
命が危険だと思ったり、

運転免許証をなくしたら、
悪者に盗まれたと思い込んだりする。

しかし、悲観的な考えは、
さらに不愉快な感情を生むだけ。

幸せを求める心の葛藤ではあるが、
それはあなたを岸から遠ざけ、
水底に引きずり込む。

つまりは、世の中を
疑いと絶望のレンズを通して見るか、
希望と興奮のレンズを通して見るか
どちらを選ぶかはあなた次第
だ。

いずれにしても、いつかは
同じ目的地に到着する。

問題は眉をひそめて到着したいか、
笑顔で到着したいかの違いだ。

喪失感に苛まれる

幸せになるために、
懸命に取り組まなくてはいけないこともある。

人生のハードルをクリアするには、
前向きな心構えでいるだけでは
難しいこともある。

誰かを許さなくてはならないのか?
壊れた関係を忘れる必要はあるだろうか?

愛する人の死と折り合いを
つけなくてはいけないのだろうか?

人生はたくさんの喪失であふれている。

でもある意味、真の幸せは
喪失なしではありえない。

失うものがあるからこそ、
良かった頃に感謝することができ、
成長できる。

光を見つけようとあがいているなら、
あなたはひとりではない。

理解してくれる人を見つけて、
話しかけてみよう。

支えを求めて手を伸ばしてみよう。
喪失感に苛まれてはいけない。

真実に
向き合うのを避ける


いくら無視しようとしても、
真実は変わらない。

真実を避けていては、
平和は訪れない。

非情な真実を癒すために、
あえて真実を感じとること。

恐怖や弱さを真ん中にもってきて、
スポットライト当てて
しっかり目に焼きつける。

克服するにはこの方法しかない。

真実に向き合う痛みは、
長い目で見れば必ず価値があることだから。

決断を先延ばしにする

悪い決断は、
なにも決断しないよりまし。

優柔不断な態度は、
悪い決断から良い決断が
生まれることを学ぶのが遅れるだけ。

最後はたいてい、
決心するのを先延ばしにして、

チャンスをつかみ損ねたことを
後悔することになる。

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最後に

自分でわざわざ人生を
難しくしてしまってはいないだろうか? 

物事を簡単にするために、
さて今日はなにをしただろうか?


▲ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp

誰しも多かれ少なかれ、
傷付いたり悲しくなったり、
悩んだり考え込んだり、

そんな苦境を味わった事は
あるでしょう。

けれど、災難ばかりを経験して、
良い事はひとつも起きない人などいません。

おそらく、災難つまりつらく苦しい事は、
今生きている全ての人間に、
同じ割合で与えられているのだと思います。

それでは、何故
苦しみを乗り越えて進んでいける人、
苦しみに囚われて身動きが取れなくなる人、
といった「違い」が生じるのでしょうか。

それは、その「災難」をどう捉えるか、
その「重み」なのだと思います。

「私は毎日がつらくて苦しくて仕方がない」

そう思っている限りは、
「幸運」に気付けずに通り過ぎ、
「幸福」にも気づく事が出来ません。

夕日の美しさ、
道端に咲く可愛い花、
夜風の気持ち良さ、
食事を「美味しい」と思って食べる事、
大切な存在が居る事・・・etc.

これらは、多くの人が「当たり前」と認識し、
その有難みに気付けずに、

忙しい心を胸に、
日々を生きているのかもしれません。

ところが、もしこれら「当たり前」の物事が、
全く無くなるとしたら、どうでしょう。

明日からは日が昇る事も、
沈む事も永遠に無くなり、

大切な存在が
目の前から消え失せるとしたら、

私達は暗闇の中で、
独り日々を生きていかなくてはなりません。
それこそが「不幸」なのだと思います。

そして、その時になって初めて、
「恵まれていた自分」に気付かされる
のではないでしょうか。

少しでも、
「後ろ向きな生き方を止めて前向きに生きたい」
「今の自分を良い方向へと変えたい」

あなたがそう思うならば、以下に述べていく
「心を軽くする」
「楽な気持ちで生きる」ための方法を、
ぜひ実践してみて欲しいと思います。

短所から長所を見出す

「長所」と「短所」は、
いつの時も背中合わせです。

つまり、「自分には短所しかない」と
思い込んでいる人は、
物事の裏面しか見ていないという事です。

裏を返すと、
「長所」を発見することが
出来るのかもしれないのに、

裏返しすら諦めているのです。
それこそ「宝の持ち腐れ」と言えるでしょう。

例えば、

「何年レッスンを受けても、バレエが上達しない」
「周りにもからかわれる。つらい。もう止めたい」
「私なんか、きっと何をやってもダメなんだ」

そう自信を失くし、
自分を責めている人がいるとします。

けれど、それは裏を返せば
「辛抱強く、忍耐力と継続力がある」という
長所があるという事です。

また、「短気な自分が嫌い」と
嘆く人がいるとします。

けれども、それも裏を返せば
「決断するのが早い」という
立派な長所になります。

何故この人達は、
この素晴らしい長所に
気付けないのでしょうか。

それは、この人は「成果を出す事」に固執し、
周りと自分を比べては自信を失くし、

プレッシャーから
「焦り」が生み出されている
からなのかもしれません。

この様な時には、
一度心を落ち着かせ、

自分のしている事を
別の視点から眺めてみると良いでしょう。

自分を客観視する事は難しい事ですが、
自分の行いの結果を客観視する事は、
さほど難しくはありません。

それは、自分自身
=自分の心と身体ではないからです。

自分は鏡に映して見ることしか出来ません。
哲学的に言うと、それが真の姿かどうかは
分からないのです。

鏡に映る自分と、
自分以外の人の目に映る自分が
同じかは誰にも分からないからです。

けれど、行った結果は
目で見れなくても、実態として
理解する事は出来るでしょう。


※『長所を伸ばす』

「短所を治したい」
「苦手な事を克服したい」
という言葉をよく耳にしますが、

それを成し遂げるには、
想像以上の多大な努力が必要とされます。

人間の得意・不得意、性格・人格は、
児童期の頃にほぼ出来上がります。

それを変える=短所を治す・苦手分野を克服する
という事は、今までの自分から変身する
という事であり、はっきり言って一苦労です。

けれども、

持って生まれたものを
もっと「いいもの」に変えるのは簡単です。

なぜなら、それは既に身に付けているものを、
ほんの少し磨いてあげればいいだけだからです。

特に、「特技」なのであれば事は早いです。
元々得意なのですから、磨く事に取り組むのに、
おそらくはほぼ苦痛を要しませんし、
成果も早く表れ易いと思います。

ダイヤモンドは、原石のままでは輝きません。
しっかりと磨き上げることで、
素晴らしく光り輝くのです。

また、ダイヤモンドを「石ころ」と
思い込んで磨かなければ、本当に「石ころ」同然です。

それと同じで、

自分自身を否定し、過小評価をし続けていると、
せっかくの「原石」を磨く事も出来ない、

もしくは、
その存在にすら気付く事が出来ません。

人間は皆、必ず
「原石」を持って産まれてきます。

「私なんかこんなにブスだし・・
きっと、恋愛も結婚も出来ないんだろうな」

「俺なんか、勉強もスポーツも
大して出来ないから、ダメ人間なんだ」

そう思い込む事は、
ダイヤモンドを「石ころ」と
思い込んでいる事と同じ事です。

誰しも短所を持っています。
自分の短所ばかり眺め、自分で自分を
否定し続けていると、

おそらくほとんどの人が
自分自身をまるで「石ころ」のように思い、
落ち込むことでしょう。

『暗示効果』

つまり、
「自己暗示」=自分で思い込んでいる事が、
事実とは関係なく真実であると
思い込む事が働くからです。

「お前なんかいらない」と
言われ続けて育った子供が、

自分が存在する事に
罪悪感を抱いてしまう事も
暗示効果による結果です。

マイナスに考える事が癖になっていると、
特にその様な状況に陥りやすく、

「私なんか」という言葉ばかりが心の中を制覇し、
「私だって」と立ち上がる事が出来ずに、
どんどん落ち込んでいきます。

その様な考え方を変えるのは
容易い事ではないでしょう。

けれど、はっきりしているのは、
他人には変えられないという事です。

あなた自身が、自分の力で
意識しなければ変わりません。

あなたの心は
あなたにしか分かりません。

その心を持つ事が出来るのも、
あなた自身に他なりません。

嫌な所が見えてきたからと、
すぐに落胆するのは止めましょう。

短所を見つけたのなら、悩まずに、
今度は自分の長所を探してみるのも、

マイナス思考のスパイラルに
ハマるのを防ぐのに効果的です。

もし、短所が10個見つかったのなら、
長所を20個、30個、40個・・・
思い付く限りあげてみましょう。

さらに、自分の長所を紙に書き出し、
自信が無くなる度にその紙を読んでみると、

意外な程に、
「なんだ、こんなにイイトコあるじゃん」
「大丈夫!何とかなるよ!」と

楽観的に物事を眺める事が
出来るようになって行くのです。


先の事を考えるのを
止める!


「明日は明日の風が吹く」という言葉の通り、
明日何が起きるのかなど、考えた所で
分かるはずがありません。

明日は、「今日」の段階では
まだ訪れていないからです。

また、それは明後日、
来週、来月、来年に関しても同様です。
このような話を、本で読んだ事があります。

100%起こり得る事は別ですが、
「もし、ああなったら・・・」
「もし、こんな事になってしまったら・・・」と、

起こるかも分からない事まで
心配していたら、脳も神経も疲れ果てます。

その様な場合、考えるのを止めるのがベストなのですが、
日々この様な悩みばかりを考えている人は、
もはや「被害妄想の達人」なのです。

実際、過労死で亡くなる人は、
仕事そのものよりも、

仕事に対する不安などの
精神的な疲労が原因で
死に至る割合が多いそうです。

これでは、
「見えない敵に怯えている」のと同じ事です。

どうすれば不安や恐怖心に駆られずに
日々を生きれるのか、私自身が実践し、
効果があった事を述べようと思います。

まず、「不安に思う事」を
紙に書き出してみるのです。

そして、それを眺めてみます。
その時、貴方はどう思うでしょうか。

「何だ、こんなことか」と思えたなら、
あなたは心が健康である証拠です。

けれども、もし

「やっぱり不安だな。怖いなぁ」と思ったなら、
自分自身と、こう約束してみて下さい。

「今日は考えずに過ごして寝て、
明日もう1度見てみよう」

もし、次の日になっても
不安で仕方ないのでしたら、
来週、再来週・・・と延ばしていきます。

すると、いつの間にか忘れていたり、
不安だった事が現実に起きたとしても、

「あの時から不安に思う必要はなかったな」
などと思うのです。

太字※
「心配事は一晩寝かせる」

最初のこの意識は、
難しい事かも知れませんが、
非常に大切な意識です。

なぜなら、
人は何かを心配に思っている時には、
周囲の恵み、チャンス、幸福までをも
見過ごしてしまうからです。

失望感のどん底に落ちたときには、
人は人生を諦めたくなったりもします。

それでも、
踏ん張って生き抜いた後になれば、
大きな失敗や挫折が笑い話に
変わったりもするものです。

「何事も早まってはいけない」
「先の事を心配した所で、答えなどない」
これらの意識は薬よりもよく効きます。

1秒先ですら、何が起きるかは
「今」の段階では、誰にも分かりません。

要するに、先の事を心配する、
つまりマイナスな面を想像した所で、

現在を生きているあなたが、
未来の貴方を助けることは不可能であり、

未来があなたの想像通りなる事など
有り得ないのです。

最近では、占いが流行しているらしいですが、
未来が分かってしまったとしたら、

あなたの手の中から、
『希望』という2文字は消え失せます。

誰しも、「今」より後には
何が起きるか分からないからこそ
『希望』があるのです。

あなたの生きる道は、
貴方自身が切り開くもの。

他人に出来るはずも無く、
予測が付いてしまうのなら、
「生きる意味」などありません。

ただ、一つだけジンクスがあります。
実際やるかどうかは自分次第ですが、

どんな状況であれ、
「きっと、最高の笑顔を手にしてやる!」
と胸に誓う事です。

願い続ければ、きっと得られるでしょう。
そう信じ、日々を生きる事が出来たなら、
マイナスな考えばかりを考える時間は減るだろうし、

最高とまではいかなくても、
自然と笑える日が訪れると思います。

プロフィール

ブタロー(^O^)/

Author:ブタロー(^O^)/
61歳にしてシニア起業した九州・長崎のメタボおやじの心の拠りどころ雑記

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