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読想・自分の老後を考える



お疲れ様です(^O^)/

最近、「ルポ老人地獄」というヤバイ系の本を
古本屋で見つけて読んだので、

本日は、その一部をご紹介致します。





本書では月30万円もの年金を受給していた
共に80歳のNさん夫婦のケースが紹介されています。

2人は共働きだったため夫が18万円、妻が12万円、
合計30万円の年金を受け取っていました。

高齢者夫婦としては悠々自適で、貧困とは無縁なはず…。
だがそれも、夫のNさんが高熱を出してから状況は一変。

Nさんは歩くのが困難になり、認知症も進行。

自宅介護は困難なため公的な介護施設である
特別養護老人ホームを探します。

特養は入居費が10万円ほどで、年金でも十分賄えそうだけど、
区内施設は入居待ちが600人もいるなど断念するしかありません。

次は民間の有料老人ホームを当たってみるも、
問題はその金額の高額さでした。

月30万円の年金収入がある夫妻でさえ、手が出ないものでした。

『入居一時金1,200万円 月額利用料21万円』(品川区のホーム)、
「一時金不要 月額利用料28万円(千葉市のホーム)……。

それだけではありません。

『ほかにも月に5万円は見込んだほうがいい』と
不動産業者に告げられたそうです。

介護サービスは介護保険から9割出ますが、自己負担が一割あります。
訪問診療を受ければ医療費は75歳以上も自己負担が原則一割必要です。

さらに散髪代やおむつ代などもかかるというのです。

有料老人ホームは入居時の一時金として通常数100万円かかることもあり、
加えて月々20万円の入居費用だから、かなり敷居が高いもの。

結局、Nさんは茨城県つくば市の月12万円のホームに入居したものの、
その後肺炎に罹って入院し「胃ろう」に…



ゲゲッ、もう読むのがつらくなってきました。

せいぜい頑張って、個人的に年金運用をせねばと焦っています。

そこで本日は、こんなブログをご紹介します。
風力発電を使った個人年金づくりの話です。

会社の経営者が対象だけど、

「連結納税」という優遇措置を活用すれば、
会社の経費で個人年金づくりができるそうな。

身内の会社でやっているのでご紹介します♪
詳しくは下記のブログをご覧あれ。


http://fuukeisya.com/blog-entry-18.html


本日はここまで。
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人とのご縁で拓けてゆく世界



人生のステージが変わる時、神がかり的に
いろんな方との有難いご縁で未知の世界が拓けてゆきます。

今回の私の起業に至るまでの過程においては、
信じられないご縁の連続でした。

本日のブログでは、神様のご支援である
「新たなるご縁」について参考になる
サイト記事を転載致します。


▲http://president.jp

一人の楽しみは、必ず広く他に及ぶ

「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一。

日本初の銀行など約500の会社と
約600の教育福祉事業の設立にかかわった。

しかし、一人ですべてをつくったわけではない。
そこには多くの企業家や資本家の協力があった。

つまり、多くの人を惹きつける魅力を備えた、
いい意味での「人たらし」だったのだ。

そのことは主著『論語と算盤』をはじめ、
残された数多くの言葉からも読み取れる。

「栄一は強運の男だった。
そのいい運はいい人とのご縁から生じる。

栄一はどのような立場であろうと、
人との出会いとご縁を大切にしたのではないか」

こう語るのは、栄一の玄孫にあたる5代目で、
コモンズ投信会長の渋澤健。

栄一の残した言葉を独自の解釈でまとめた
著書もある渋澤が、人を魅了するという観点で、
一番心に刻み込んでいるのが次の言葉だという。

「ただこれを知ったばかりでは、興味がない。

好むようになりさえすれば、道に向かって進む。
もし、それ衷心より道を楽しむ者に至っては、
いかなる困難に遭遇するも挫折せず、
敢然として道に進む」(『論語講義(二)』)

物事をただ「知った」だけでは興味はわかない。

しかし、

「面白い」と思えれば、何か行動を起こす。

さらに行動してみて心から「楽しい」と思えれば、
どんな困難があってもくじけずに邁進できるという意味だ。

「成功した人たちは、どこかの段階で
"楽しむ心のスイッチ"が入った人なのではないかなと
私は思っている」と渋澤は述べ、栄一の次の言葉につなげる。

「一人の楽しみは、決してその人限りに止まらず、
必ず広く他に及ぶ」(『渋沢栄一訓言集』)

「自分が楽しそうにしていると、人が自然に集まってくる。
この人と一緒にいると楽しいよねとか、
何かやってくれそうだとか、魅力を感じる。

世の中で成功している人たちは、
個性的な人が多いが、
自分の人生を楽しんでいる。
そういう人に魅かれて人はついていく」

なるほど、大切なのは自分が心底楽しむこと。
これこそが「ご縁」を呼び込む“王道”なのだ。



「ご縁」というと受け身の感じもするが、
栄一は自ら積極的に縁を求めた人でもあった。

「老年となく青年となく、
勉強の心を失ってしまえば、
その人は到底進歩するものではない。

いかに多数でも時間の許す限り、
たいていは面会することにしている」
(『論語と算盤』)

何歳になっても学ぶ心を失っては、
人の進歩は止まる。

そうならないためには、
忙しくても時間の許す限り、

訪れてくる人にはなるべく
会うようにしている、という意味だ。

そんな面会の機会を得た一人に、
イオングループの創業者である岡田卓也の
父親である岡田惣一郎がおり、

当時15~16歳だった岡田少年は
四日市から東京まで行商をしながら
旅費を稼ぎ、栄一の自宅を訪ねたそうだ。

「栄一が強運の男だったヒントはここにある。
運を持ってくるのは人。

時間は有限ですし、面倒くさいかもしれない。

けれどそこで人を門前払いするのか、
いろんな人と会って意見交換するのか。

栄一の家には毎朝、多くの人が陳情に来たが、
出勤する前に時間の許す限り会っていた。

そういう中で、自分の考えをまとめたり、
気づきなどもあったのだろう」

そうしたご縁で出会った人と、
どんな関係を築いていくのか。

それが最も大切な点だ。
栄一はこうも語っている。

「他人を押し倒して
ひとり利益を獲得するのと、

他人をも利して、ともにその利益を獲得すると
いずれを優れりとするや」(『渋沢栄一訓言集』)

人を押しのけて、
その分まで自分の利益にする人と、

人も自分も、
どちらも利益が得られるようにする人、

どちらが優れているかは明らかだ
という意味である。渋澤はこう解説する。

「利己と利他はよく別だといわれるが、
必ずしもそうではなく、
私は利己を否定してはいけないと思っている。

ただ、利己とはいまのその瞬間だけのこと。
ただ、テークだけで、ギブしないというのは、
そのときはいいけれども、将来はどうか。

いまギブすれば、
将来、ギブンされるかもしれない。

利己というのはそのときの瞬間のことで、
そこに将来という時間軸を刺すと、
それがやがて利他につながっていく。

結局、栄一は『論語と算盤』で
利己と利他のバランスを説いているのではないか」。



栄一はさらに
次のようにも語っている。

「およそ目的には、理想が伴わねばならない。
その理想を実現するのが、人の務めである」

(『渋沢栄一訓言集』)

ある目的に向かって行動する場合、
目的の達成だけではなく、
その理想をも実現するのが人間の義務であると。

渋澤は「私はその瞬間の利己は否定しないが、
『理想』という将来への時間軸を通すことが
最も大切であり、

その理想を実現させることが人の務めと
いえるのではないかと考えている」と話す。

これは渋澤の仕事にも通じる。

外資系金融機関を渡り歩いたのち、
コモンズ投信を立ち上げた。

主力商品の「コモンズ30ファンド」は、
30年先を見据えた個人向け投資信託。

短期での効率的な運用を目指す
本来のファンドとは性格が異なる。

長期の時間軸の中で、
個人投資家と投資される企業の双方が
利益を得られるようにするものだ。

ところで、

「人たらし」の栄一にとって、
犬猿の仲といわれるのが
三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎で、

有名なエピソード「向島の決闘」が残っている。

料亭での会食で、経営哲学をめぐって論争になり、
激高した渋沢が途中で黙って帰ったというもの。

ところがこれには後日談がある。

約1年後、2人は協力して日本初の保険会社、
東京海上保険会社を設立しているのだ。

「三菱の岩崎さんが出資することは
信用力を高めるので歓迎していた。

栄一は晩年、岩崎さんとは
経営に関しての考え方は違ったけれど、
毛嫌いしたことはないと振り返っている。
リスペクトは当然あったはず」(渋澤氏)

栄一も「礼儀ほど美しいものはない」とし、
意見が対立する相手でも
尊重することが大切だと説いた。

敵・味方は単純でなく、
いつ入れ替わるかわからない。

たとえば、社内人事で嫌いな人と一緒に
仕事をしなければならないこともあるだろう。

ライバルであっても、
礼節は欠かないようにしたいものである。

「人たらし」は天賦の才かもしれないが、
ここで取り上げた言葉を意識して
実践していくようにすれば、
人間関係は変わってくるはずだ。



心の世界に生きる



お金をたくさん持っているとか貧乏だとか、
これからの人生をそんな物質的な尺度で
生きてゆくのはつまらないと思います。

心の世界に生きる

「人に喜ばれて自分が喜ぶ」みたいな生き方がしたいと
このたび、起業することにしました。

その道のりを照らす「ともし火」が欲しいと願っていた折に、
本日ご紹介するメルマガに出会いました。

その一部をサンプル的に「無断」で転載致します。
無料メルマガですので、是非アドレスをご登録して
読まれてみて下さい。

とても有難いことが書いてあります。

仏教の教えがベースとなっていますが、
人間の人生のガイドですから、
クリスチャンの方でも参考になることは
多いと思います。

よろしければ、読まれてください。



生きている時、ガチッと一念で摂め取られ

何があっても捨てられない幸福、

崩れない幸せであることを先回お話ししました。

この「何があっても」の中には

「死ぬときも」というのも入ります。

以前講座に来られた学生で

「どうせ死んだら終わりじゃん」

と投げやりに私に食ってかかってきた大学生がいましたが

なかなかよく考えています。

「どうせ死んだら」の言葉を前に対抗しうる人生論、幸福論は

なかなか見当たらないからです。

どんなに上手く世の中を渡り、

人より多くの富や名声、家族などの幸せをつかんだとしても

どんな人も死を免れることはできません。

死ぬときには今まで人と争ってまで手に入れてきたすべてのものを置いて

一人ぼっちで死んでいかねばならないのです。

-------------------

いよいよ死んでいく時の実相を蓮如上人はこう説かれてます。

『まことに死せんときは、かねて頼みおきつる

 妻子も財宝も、我が身には一つも

 相添うことあるべからず。

 されば死出の山路の末、三途の大河をば、

 ただ一人こそ行きなんずれ。』

 (蓮如上人)

-----------------

温泉旅館に泊まりますと、

きれいな掛け軸やインテリア、

風光明媚な庭や清潔な布団などあって気持ちいいですが、

どんなに「これいいな」と思っても

その日一日だけしか自分が自由にはできないものです。

旅館を出るときに「気に入ったから」といって

部屋から持っていったら、

窃盗罪で逮捕されます。

その日一日だけの、しばらくの所有物です。


考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉も

この世にいる間だけ、

しばらく自分のものになっているもの。

死んでいくときには

全部置いて

丸裸でこの世を去らなければなりません。

一人ぼっちでどこへ行くんでしょうか。


人と駆け抜け争い、手に入れて、

「おれのものだ」と誇っていても

しばらくの間、

夢幻のように消えていく

はかない一生の間だけのことです。

大金を手中にしたとっても

権勢をほしいままにしたといっても

歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば

温泉旅館の客の出入りさながらです。



朝、客が部屋を出ていけば、

昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる

その客も翌朝には出て行って

また次の客の入ってくる準備が始まる

どんな権力者とて、一夜の温泉宿の

一介の客にすぎません。

死んでどこへ旅立つのかも知らず。。



それなのに私たちはなぜ生きているのでしょうか。

【必ず死ぬのになぜ生きる】

これこそシッダルタ太子(後のお釈迦さま)が

城を出られた動機であり、

親鸞聖人が出家された目的でもあります。



こればかりはどうしようもない、

考えないようにするしかない、

考えてしまうとむなしくて不安になるだけだから、

という人があります。

答えがないならそうするしかないのですが、

その不安の解決の道は2600年前、

ブッダによって明らかにされているのです。



その昔、なんとかシッダルタ太子(のちのブッダ)の出家を

やめさせたい一心から

「お前の望みは何でもかなえてやるから」

と提案する父・浄飯王への

シッダルタの三つの願いは

「老いない身にしてください。

 病で苦しまない身にしてください。

 死なない身にしてください」

というものでした。



その三つの願いを聞かれた浄飯王は

「無茶なことをいうものではない」

とあきれ返ったとあります。



こればかりはどうしようもない

どうせ死ぬんだから、考えたって仕方ない

と死をごまかし続ける人類は

死を克服したいと挑戦する者に

むちゃだ、とあきれるだけなのです。



「死」が怖いと敏感に感じ、

「死」こそ大問題ではないかと直感的に気づく、

純粋な少年や少女も

「そんなこと考えても仕方ない」

「それよりも将来のために勉強しなさい」

と大人の物わかりのいい意見にいつしか、

飲み込まれてしまいます。



その中、ただお一人敢然と死に立ち向かい、

ついに死を超えた幸福の厳存を万人に示したのが

ブッダ、お釈迦様その人です。



だから仏教で説かれている「本当の幸せ」とは

いつ死んでも人生に一点の後悔なし、

生きてきてよかった、と

死の巌頭に立ってなお大満足の境地です。

それが『摂取不捨の利益』です。

++++++++++++++

いかがでしたか?
なかなか良いことが書いてあるでしょう?

興味のある方はこちらから
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人生が変わる時



現状に満足している人でも、
シニア世代であれば人生の終焉に向かい、
いずれステージが変わります。

歩けなくなって介護ベットの住人になるかもしれないし、
パートナーの介護をする側に回るかもしれません。

そうなれば当然、毎日の過ごし方が変わります。

その時に慌てないように、
本日は「人生が変わる時」をテーマに
二つのサイト記事をご紹介します。

しばらく更新していませんでしたが、
私も人生ステージが変わります。

61歳にして介護支援サービス分野で
起業することになりました。

私なりに考え抜いた「悠々自適」を目指す人生の始まりです。
※詳細は後日、機会があれば。


▲http://nekokick3.com

実際に自分のステージが変わるとどうなるか、
体験してみないとわからないですよね。

そこで、今回は、そんなステージの変化が起こった時に
どういう兆しがあるのか。

これを書いていきたいと思います。

ステージが変わると起こること

これは、一つではないのですが、

・自分の考え方が変わる
・人間関係が変わる
・生活のリズムが大きく変わる

という変化が起きます。

①自分の考え方が変わる


まずは、この考え方という所ですが、

今までこだわっていたものや、
執着していたものが変わったり、
また時間のかけ方などに大きな違いが生まれます。

これは、例えるならば、

航海をしているときに
使用していた航海図の目的地が変われば

当然そこに向けて編成し直さないと
いけなくなりますよね。

そんな具合で自分の思考が変化します。
それが成長なのか、退化なのかは本人次第でしょう。

②人間関係が変わる


人間関係に大きな違いが現れるのも、この過渡期、
岐路においての特徴としてあることですね。

これは、今までお世話になった人と
付き合わなくなるということではなく、

それとは別に今までお会いしてこなかったような方と
お会いしたり、ご一緒に仕事できる機会が現れます。

鏡の法則を引用すれば、
自分が人生で関わりを持てる相手は、自分を投影したもの。

つまりは、自分が変わることで、
その人間関係も変化してくるというわけです。

③人間関係の変化に気が付くには?

流動的に人と付き合っていると、
その目まぐるしい変化に気が付かないことも
多々ありますので、

これ、一つのトリガーとしては、

・感謝をすること。

感謝をすることで、相手をより注目できます。
感謝の気持ちを持つことで、
自分の人間関係の変化に気が付くことが増えるでしょう。

・生活のリズムが大きく変わる

最後に生活のリズム。
これ、けっこう大きな問題です。

ともすれば、生活リズムは
人生の大きな変化が起こるときくらいしか、
そのリズムは変わりません。

しかし、起きる時間、通う場所、
過ごす場所や寝る時間。

ここらへんの変化が大きいと
それだけ自分の人生にも大きく影響を与えます。

身近なことでいえば、

朝1時間早起きして読書をするだけでも、
人生の大きな変化は現れると僕は思います。

次のステージに上がるときの注意点

①自分を見失わない
②今までお世話になった人をおざなりにしない
③フラットに生きる


またこういう人生の変貌期は、注意も必要です。

①自分を見失わない


あたらしいステージに上がると、浮足立ってしまい、
また必要以上に興奮やはしゃいでしまいがちですが、

自分は自分。常に自分は自分だという気持ちで
臨むことが大切です。

②今までお世話になった人をおざなりにしない


そして、今の自分があるのは、
過去これまでお世話になった人、
良くしてくれた人、

また大きく言えばこの種子を絶やさず
受け継いでくれたご先祖様に感謝しなくてはなりません。

結局、ステージがどれだけ変化しても、
身近な人をおざなりにする人に勝利の女神は微笑まない。

そう思います。

③フラットに生きる


あとは、もうどんな状況であっても、フラットに。

人生の変化の時期なんて、普段以上に
上下していくことが多いでしょう。
そこで一々一喜一憂せずに、フラットに生きる。

おごらず、焦らず、あきらめず。
腐らず、焦らず、自分のままで。

これがこの次のステージに
上がる時の注意点だと思います。


▲http://ameblo.jp


(質問)

自分のステージが変わる時は、
お試しがあるってありました。

この言葉は良く聞くのですが、
お試しというのは実際どんな感じの事が
おきてくるのですか?

基本的な事で申し訳ないのですが、
教えていただけると嬉しいです。

--------------------------

「お試し」とは、言い換えると
「自分の覚悟が試されることが起こる」
ということです。

自分の人生変えたい!!と想って、
いろいろと行動しますね。

自分の気持ちの中では
新しい世界に行こうとする自分に
喜びを感じている部分と

新しい世界に行こうとする自分に
不安を感じている部分があります。

どうして、新しい世界に行こうとする自分に
不安を感じるのかというと

人は、変わるということに、
良くも悪くも恐怖を覚えるということ

そして、新しい世界に行くことは、
多大なリスクが生じるからです。

多大なリスクとは、何でしょう?
それは、今あるものを「手放す」ということです。

ないものをもらうことは、
人はまったく悩まないんですが

あるものを手放すことは、
人は勇気がいるんですね。

一番手放しにくいものが、
「習慣」と「人間関係」と「お金」です。

人は、楽したいし、嫌われたくないし、
生活レベルを落としたくないんですね。

たとえば、「変わりたい!」と想ったあなたが
誰かに素敵なセミナーを紹介してもらって
そのセミナーに仲良しの友達を誘っていこうとします。

友達は「いいよ」って返事をしてくれました。
そして、仲良く一緒にセミナーへ行きます。

自分は、とってもその内容に感動し
懇親会にも行って講師と直接話をしたい!って想います。

でも、友達は講演会が終わったとたん
「あー終わった!お腹すいたね、何か食べに行こうよ」と
二人だけで行こうとあなたを誘います。

でも、あなたは、本当は懇親会に行きたい。
そこでいろんな人たちと交流を持ちたい。

でも、友達は「懇親会代も高いし、
講師と話せるとも限らないし、全然興味ない。
もう話聴いたし、いいやん」と言います。

さて、ここで質問です。

① あなたは、友達に「私は行きたいから」と伝えて、
一人でも懇親会に行けますか?

② あなたは、「ああ、そうやんね。。。」と
本音は隠して、友達とご飯に行きますか?

①を選んだあなたは、今まで
友達に合わせて生きてきたことを手放し

自分の想いをきちんと友達に伝えて
自分が本当にそのときしたいことを選択しました。

あなたの選択は、あなたの魂が喜ぶ道へと繋がっていきます。

②を選んだあなたは、今までと同じように
友達に合わせて生きようとし

嫌われることを恐れて自分の想いを伝えられず
自分の気持ちにウソをつくことを選択しました。

あなたの選択は、今までとなんら変わらない道を
これからも歩むものです。

たとえば、夢を叶えたいと想っていた
あなたの目の前にずっとやりたかった仕事が
できるチャンスがやってきます。

でも、その仕事に転職すると休みは減り、
お給料も歩合制になり、確実に今の生活レベルは
維持できなくなります。

今までのように、自由にお金を
使うこともできなくなります。

さて、ここで質問です。

① あなたは、現状維持の生活を手放して、
夢を目指しますか?

② あなたは、夢をあきらめて、
現状維持の生活を選びますか?

どちらを選んでも、あなたの人生です。
どちらが正しくて、どちらかが正しくない
ということではありません。

ただ、あなたが今までとは違う人生にしたいと
想っているのであれば
今までと違う選択をする必要があります。

「魂が喜ぶ選択」は、
決して「楽な」選択ではありません。

「魂が喜ぶ選択」は、ときに厳しく、
ときに踏んばりが必要なものです。

あなたの魂が喜ぶ選択はどちらですか?

カードローンの恐怖から語る仏教

【今日の仏語】は『忍辱』の2回目です。


============


■仏教に『惑業苦(わくごっく)』という言葉があります。

「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。

「業」は悪い行い。

「苦」は苦しみのことです。



「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、

そして「苦」が「惑」を生む。

「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・

延々と続いていくと説かれています。



■カードローンで多重債務に陥り、苦しむ人は跡を絶ちませんが、

惑業苦の輪が、かなりの回転数で回ってしまっている状態です。

お金が欲しい、困った、どうしようと「惑」の心が起きます。

つい借りてしまう、これが「業」です。

返済が迫られる、これが「苦」です。

その苦しみからまたどうしようかと迷い、「惑」

また借りる「業」

借金がかさむ「苦」

借金の額が増え、カードも幾つも作り、

よからぬ金策に走ったりして、そのことで頭を悩ませ、

仕事も手につかず、人にも優しくできなくなり、

となっていくのが、惑業苦の輪が回っている姿です。



■一昔前は借金といえば、

親族や友人に頭を下げるなどしなければならなかったり、

あるいは周りの目をはばかりながら、

急ぎ足で質屋の暖簾をくぐらねばならなかったので、

借金自体ハードルが高かったのですが、

今日のご時世、ATMからお金を下ろしているのと同じ感覚で

キャッシング=借金という認識さえ麻痺して

しかもリポ払いでいくら買っても払う額が一定と

多額の借金も軽い気持ちになっていってます。



■カード会社も、借金を怖ろしくないものといかに思わせるか、

の方策を次々と打ち出しますから、

うっかりしているとだまされて借金している、という状態です。



■人気作家、宮部みゆきの代表作「火車」には、

カードローンで身を持ち崩す人間の実態が描写されていますが、

繰り返し語られているのは、出会い頭の交通事故のように

普通の人、一般の常識人も、

いつカードローンの犠牲者になるかもしれないという実態でした。

「あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、

自分でもわからない」

「あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに」

「夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。(中略)

そこへ、見境なく貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」



■昔より自制心が試されている時代ともいえましょう。

野菜の無人販売のように、お金が店頭に並べられていて、

自由に持っていけるような感覚の時代です。

ただしどれだけ持っていったか、

こっそり厳しく管理されているので、

どれだけ欲しくても、我慢しなければなりません。



■昔は返済が滞っても、親族だから

いつの間にか利子が増えるということもなく、

質屋の場合、入れた質草が返ってこないだけで、

厳しい取り立てが始まるということはありませんでしたが、

今は深刻です。



苦しい時に、やってはいけないことをして

余計苦しみを深めるのが人間ですから、

苦しい時こそ「ここだなあ」と忍耐が大事です。
プロフィール

ブタロー(^O^)/

Author:ブタロー(^O^)/
61歳にしてシニア起業した九州・長崎のメタボおやじの心の拠りどころ雑記

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